「終わらない毎日の終わりまで」パンフレット掲載部分。
ライブに来られなかったけど、ブログはみてるよ! な方へ。
北海道じゃない、東京の秋は、がさがさいていて白々しい。
日常の空気がこんなにも不味いなんて知らなかった。
* * *
中学1年のとき、はじめて母親に会った。
本当ははじめてじゃない。けど、僕のそれまでの記憶のなかに、母親の顔はなかった。だから、"はじめて"会った。
北海道の施設を出る日、母親が迎えに来た。派手ではなく、小奇麗な化粧をして、長い黒髪をひとつにまとめて。
何故この人が、まだ赤ん坊だった僕をおいていったのか想像がつかなかった。
想像はつかなかったけれど、僕がこの人においていかれたのは紛れもない事実で。だから僕は、母親が東京に行ってしまった後も、ずっと生まれた町に居た。何処にも行けなくて。行く場所もなくて。
「シュンスケ、行くわよ」
母親は、僕の目を見なかった。
「うん…」
僕も、母親の目を見なかった。
母親は僕の荷物を持とうとしたけれど、僕はそれを避けることで拒んだ。
僕の荷物は、背負ったリュックサックと小さな手提げかばんにすべておさまってしまって。それしかなくて。僕の全部はそれだけで。それを持たせるのも持ってもらうのも、違う気がしたから。
でも本当は、そんなたいそうな理由なんてなくて。
ただ、嫌な気がした。
気が、した。
ただそれだけだったかもしれない。
東京の家は築10数年の、新しくもなく古くもない団地の一室で、僕の部屋は西日の差し込む畳の4畳間だった。
団地の下には小さな子どもが遊んでいて、彼らを監視しつつ世間話をする母親たちで、不自然な空間が出来ていた。
別にそれは不自然でもなんでもないかもしれないけど。
僕にただ、そう見えただけで。
母親と、母親の少し後ろを歩く僕は、彼女たちの注意を引いた。興味丸出しの、躰の内側まで全部見透かそうとするような、ねちっこい視線で。
何も悪いことなんてしていないのに、すごく居心地の悪い思いがした。
タバコ団地と呼ばれる団地はその名の通り、タバコ会社の社員とその家族が住んでいる。全ての人間が知り合いで、夫の肩書きが各家庭のバロメーターになっている。
3日暮らしたら、団地内での力関係はだいたい見えた。
僕の母親は事務方の平社員で、ヒエラルキーのほぼ底辺に居た。団地の中の人は、何処となく、もしくはあからさまに、僕と母親を下に見て話をした。とはいっても、挨拶程度だけど。
つまらないと思った。
周りの人間も、母親も。
思ったけれど、僕もその団地のなかのひとりになっていた。
中学2年の春、学区の公立中学校に転入した。
団地の人間ほど嫌な感じはなかった。むしろ、転入生は珍しいらしく、クラス全体が少し浮ついているように見えた。
「何処に住んでるの?」
「北海道てどんなとこ?」
「兄弟居る?」
僕は何もこたえなかった。
そんな経験なくって、こたえられなかった。黙って俯いた僕に、クラスメイトがしらけたのがわかった。
それ以来、僕は学校で口をきかなくなった。
誰とも会話しない。挨拶もしない。
口を開くのは、出席のときと、先生に指されたときと、昼の食事のときくらい。
楽だ、と思った。
楽だった。本当に。
でも、ほんとうは――。
でも?
でも、ほんとうは……なんなのだろう?
* * *
家に帰ると、たいてい母親はまだ帰ってきていなかった。わかっているのに、一度ドアノブを回して、錠が落ちていることを確認して、僕はかばんから鍵を取り出す。
部屋には燦々と西日が差し込んでいた。
外の風は冷たいのに、部屋の中は暑いくらい。日の当たらない部屋の隅に座った。隅っこに座るのは施設に居たころからの癖だった。なんでかはわからない。
ただ、隅っこが落ち着いた。
気がついたら横になっていた。部屋のなかはまっくらで、空気がほんのり冷たい。
「…………」
肩から下に毛布がかけてあった。カーテンも閉まっている。
部屋を分けるふすまの隙間から、台所の白熱灯の明かりが漏れている。水の流れる音と、炒め物の音。
おかあさん。
声を出さずに呟いた。声にするのはなんだか怖かった。
もそもそ起き上がって、毛布をたたんだ。それを抱えて、ふすまを開ける。
流しに向かっていた母親が、僕のほうを振り返る。僕はすっと目を逸らした。だから、母親がどんな表情をしていたのかわからない。
「起きた?」
「…うん…」
「もうごはん、出来るからね」
「…うん……」
ちらりと母親のほうを見た。もう僕のほうを向いていなかった。―――ほっとした。
勉強は苦手だった。
楽しくもなかったし、面白くもなかった。
ただ、やらなければいけないもの、だった。
定期試験のたび、僕は補習のために居残りする羽目になった。
僕のように勉強が好きでもない同級生ばかりの補習クラスは、当然のように騒がしかった。
そのなかでも、同じクラスのトウドウくんは特ににぎやかで、いつも先生から注意されていた。
補習を受ける生徒はだいたい決まっていて。僕とトウドウくんと「エーコちゃん」はほとんど毎回居た。
「エーコちゃん」はいつも1時間目は居ないのに、補習には必ず居た。放課後だからだろうか?
僕は誰とも口を利かなかったけれど、人の名前を覚えるのは苦手じゃなかった。人が話しているのを、ただ輪の外から、寝たふりをしながら聞いていた。
満足ではなかったけれど、不満でもなかった。
毎日を繰り返すことに終わりなんてないようで。
それは怖いことのようで、安心することだった。
* * *
雨が降っていた。
しとしと、雫は長くて冷たくて。
傘を持っていない僕は、空を見上げて、頭を掻く。その行為に、意味なんてないのに。
吐く息はまだ白くはない。北海道に比べたら、東京の秋はそこまで寒いものではない。
「あーあ…」
呟いた。誰も居ないから。
雨は止みそうにない。けれど、濡れて帰るのも嫌な気がした。濡れたら明日までに制服は乾かないだろう。だからといって、休むのも、めんどくさい。
母親は、いつも僕より先に家を出る。確か、母親の傘は玄関に置きっぱなしだった。
「ジゾウじゃん。」
誰かが誰かを呼んでいる。ジゾウ、地蔵かな。あだ名にしては変わっている。その人は坊主頭なんだろうか。
そんなことを考えていたら、その声はだんだん近づいてきて。
「じーぞーおーじゃん」
何でか、僕は蹴られた。
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